眠れないね。

深夜1時40分。こんな時間なのに目が冴えている。こんな時間なのに眠れない。イヤホンからはストリーミングサービスで垂れ流した中島みゆき。パソコン画面の色温度を暖かくして、ブルーライトカットメガネを掛けて、書かなくてもいいはてなブログを書こうとキーボードを叩いている。そもそもこんな状況のときにろくな文章というものは出てこない。ただ頭に浮かんだことがダラダラと吐き出されるだけで、明日、厳密には今日、起きたあとの自分が赤面することが目に浮かぶ。思えば日記というものを書かなくなった。いや、そもそも、日記なんてものを書いていたのは高校生の頃、当時はauのケータイでW21CAなんて名前の機種を利用してい時期だと思うが、モバゲーというSNSが流行った。それ以前にあったハンゲームのモバイル版のような。ユーザーは自分のアバターを作って、課金して服やらアクセサリーを着飾ったり、簡単なゲームで遊んだり、できた。その中に、日記の機能もあった。そこで、リアルの友人向けに書いたのが最初だったかな。今は当然サ終しているので見返すこともできないけれど、ふと、当時の自分が何を書いていたのか知りたくなる。知りたくなるといえば、当時の携帯でせっせとやり取りしていたメールも、青臭い自分が何を書いていたいのか見たい。もうとっくに壊れて捨ててしまっているから見られないけれど。どうやって当時の自分は生きていたんだろう。何が楽しくて何が辛かったんだろう。友達にはどんなふうに話しかけていたんだろう。今となってはわからない。すっかり老いて34歳になった自分は、恋人と結婚して子どももできた。妻とは今でもかなりの頻度で喧嘩をするし、その度に平謝りをするし、でも大好きだし、子どもは本当にかわいくて、目に入れても痛くないってこのことかって実感するし。一歩一歩毎日成長していく姿を見ているとなんだか泣けてきて。幸せだと思う。でも、その一方で、友人づきあいというのはめちゃくちゃ少なくなった。こんなふうに言うと、過去には友達が沢山いたように聞こえるかもしれないがそういう訳では無い。そういう訳では無いのだけれど、友達を持つことに必要性を感じなくなった。思えば小さい頃から日本では友達を沢山持つことが良いことだと教えられる。「小学生になったら友達百人できるかな」。あいにく私の学校は全校生徒に教職員を足しても3桁には届かないため、不可能な願望ということになるのだが、これは一種の強迫観念のようになっていたと思う。みんなはそうじゃないの?確かに正しいと思う。友達を作ることは大切。人間は群れて生活する生き物であって、自分一人の力で生きられる人というのは存在しない。多かれ少なかれ誰かの助けを直接的なり間接的になりうけて生きている。だから、協調性というのは就活で非常に重要視されるし、その御蔭でバイトリーダー経験を持つ奴らが大量生産される。大切だよね。大切。でも最近はそうじゃないよね。僕が小さい頃、学校を休みたいと親に行っても、体温が37.5度以上ないとどれだけごねてもランドセルを背負わされて玄関から放り出されたもんだった。いじめられたと相談しても、お前がやり返さないのがいかんと何故か叱られた。その結果親は信用できず、かといって相手にやり返すこともできないどうしようもない人間が生まれたわけだけれど、今は違うよね。逃げていいって、勉強だけが全てじゃないって教えられる。保健室登校なんて言葉は僕の時代にもあった気がするけれど、今は学校に馴染めない子達の受け入れ口が沢山増えている。子どものいじめは本当に残酷で、無邪気だからこそ凶悪で、これを苦に自殺する子たちもいる。だから、逃げ場があるんだよ。その選択があなたはできるんだよと伝えてあげることは正しい。だけれど、だけれど、なんでいじめられたがわ逃げなければならないんだろう。間違ったことをしているのはいじめっ子側だよね。人格に問題があるのは、いじめられた側なのか。逃げて、その後も腫れ物になる必要がいじめられた側にあるのか。学校というのはブラックボックスでなんでも握りつぶそうとする。いじめなんて、教員の手に負える問題じゃない。わたしは教員が好きじゃない。そもそも学校をようやっと卒業して、自分の力で生きていけるぞと社会に羽ばたける選択肢を与えられたのに、試験を受けてまで学校に戻りたいなんてやつは学校が大好きだったやつだけだろう。そいつらが教員をやって、いじめが発生して、ところで、いじめってなんで起こるのか、やられた側の気持ちに立てるやつなんているのか。って思う。

ああーあーあーあつかれた。もうすぐ2000字になる。原稿用紙にして5枚分。本当は4000字書きたかったけれど、どうも目は冴えているのに頭の回転はどんどん鈍っているようで何も言葉が出てこないし、絞り出てくる言葉はマイナス思考に溢れているし、こんなものは残す必要がないと思うので、ここらへんで書くことをやめます。

死ぬかと思った瞬間

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」

 

自転車で走行中に車に跳ねられたことがある。交差点にて、出会い頭の衝突事故だった。

当時高校生の私は、親元を離れ一人暮らしをしており、学校までは自転車で通学していた。元来のぐうたら人間である自分は、よく寝過ごし、遅刻ギリギリで校舎に滑り込むことも多かった。その日も、本来起きるべき時間をとうに過ぎ、朝ごはんは当然なし、寝癖直しもほどほどに全力で自転車を立ちこぎしていた。

通学路にはいくつかの信号があるのだが、その日はたまたま青が続き、止められることもなくこのままであればなんとか遅刻を免れそうであった。学校まで残り200メートル程度となったところで、国道から細い市道に入っていく。この交差点には信号機の設置はなく、市道側に止まれの表示があるのみである。普段通り、多少なりとも時間に余裕があれば、速度を緩めるなり一時停止するなりして、市道側から飛び出す者がないか確認をするのだが、その日は時間がなく焦っていたため、国道を走っていたスピードそのままに交差点に進入、左折しようとした。事故の恐怖心よりも、遅刻することの面倒臭さのほうが勝っていた。

進入し、ハンドルを切ったところで、正面から小さいバンが目の前にいることに気づいた。ドンッという音とともに自分の体は宙に浮き、周りの景色がスローモーションに感じられた。死が一瞬頭をよぎる。よく走馬灯を見るというが、過去の記憶が浮かんでくるといったことはなかった。しばらくの後、自分が地面に叩きつけられており、その数m先にカゴのひしゃげた自転車が倒れていることに気づく。車に跳ねられた。後ろを見ると、小さなバンがハザードランプを点滅させて止まっている。運転席から降りてきた中年女性に大丈夫ですかと声をかけられる。警察を呼んで、事故処理してもらい、病院に行って検査を受けるべきである。しかし、当時高校生の私は、跳ねられたことが恥ずかしいと感じ、今すぐにでもこの場から立ち去りたいと考えていた。自転車のカゴはひしゃげているが、カバンが入らないほどではない。体は不思議なことに痛みもない。そもそもこの事故って、自分も悪いのか?警察が来たら、学校にも親にも連絡がいって、なにか迷惑をかけてしまうのだろうか。面倒だな。もういいや。

大丈夫です大丈夫です。と言って服についた汚れを払う。もう学校に向かいますと言い、自転車を起こす。中年女性はそれ以上何も言わなかったため、その場から立ち去った。学校には遅刻せずに済んだし、幸い後遺症等が発生することもなかった。

 

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今となっては、明らかに誤った対応であったと感じます。特に後遺症について、事故当時の感覚があっており、何も生じなかったから良かったものの、もしこれで仮に重大な障害が残っていたとしたら、目も当てられません。事故の当事者となり、混乱しているのは仕方のないことなのですが、まずは警察に通報、と反射的に動けないとだめですね。

 

 

僕らはそれに抵抗できないを読んで

先の記事でイヤホンや文房具について…とブログの方向性を示し、その舌の根も乾かぬうちで恐縮ですが、ちょうど読み終わった本がありましたので、備忘録としてのまとめです。

 

・新たな依存症「行動嗜癖」は、本質的には薬物依存と異なる点はない。しかし、物ではなく、行動が対象となっている。

スマホに代表されるデジタルデバイスは、基本的に利用者がそれに夢中になるよう設計されている。行動嗜癖はこれによって起こる依存症であり、脳内に分泌されるドーパミンが原因となっていることは、今までの依存症と変わりない。

・甘いものが好きな人がアイスクリームを食べた場合にもドーパミンの放出が行われるが、これについてまで依存症と整理することは妥当でない。その行動を起こす本人が、長期的には当該行動により好ましくない結果が引き起こされることを認識しつつ、短期的な快楽、苦痛の緩和のためにその行動を採ってしまう状態に陥ることが依存症の定義。

・依存症の治療に強制・抑圧は不向きである。それよりも、患者自身に依存症の原因を認識させ、自らの意思でこれを断たせるというアプローチを採るべきである。

・現代において、デジタルデバイスを完全に断つことは現実的でない。そのため今までの依存症の治療法である断絶を行うことができない。適切な距離を保って共存する必要がある。

・誘惑を目の前にして、これを拒むのではなく、そもそも誘惑を目の前に置かない。寝る前にスマホを触ってしまうのであれば、寝室に持ち込まなければ良い。

・依存症は好ましくない行動を他の行動に置き換えるというアプローチも効果的である。爪を噛む癖がある人であれば、爪を噛みたくなった場合に、手元にあるボールを握るなど。

 

はじめまして

はじめまして。

このブログでは文章のトレーニングを目的に日々のことを綴ります。

こうして文章をネットに公開する経験は、招待制だった頃のmixi以来で、なんとも不思議な感覚ですが、皆さまよろしくお願いします。